黄昏れ
無になることは難しい
浮かんでは消え浮かんでは消え
日本人はなんて生真面目なんだ
満員電車の中
キチンと鼻までかくしてマスクする。
リュックは、前で抱えてお産の恰好している。
電話は絶対出ない、話さない。
優先席は、該当してないければ絶対空いていても座らない。
駅の構内
上り下りのルールは必ず守り、人の後ろを律儀について、間隔はかなり空け気味でとぼとぼ歩く。
いくら空いていようが急いでいようががら空きの方は通らない。
みんな、死んだ魚の目をして、疲れ切っている様子。楽しく生きてないね。
みんなどっかの会社に所属し、言われたことをもくもくとこなして一日一日過ごしてんだろうな。
ルールはどんどん厳しくなっていくし、マナー向上、マナー向上ってあほみたいに、上は下に言ってくるばかり。
マナーを守ってます私は!みたいな奴が多すぎ。何にも自分の頭で考えて行動してない奴多すぎ。お利口さんんのおぼっちゃん、お嬢ちゃんが多すぎ。お行儀が良すぎ。
もっと気楽に生きようや。楽しいことして過ごそうや。
動画編集をまた最近し始めた
永らく、ファイナルカットプロを用いた動画編集はおざなりになっていた。
ここ数日練習のつもりで、1時間から2時間くらいフルテロップを目指し入力をしてきた。進まない、進まない、つまづくと疲れ、休みたくなる。
たった4、5分の尺の内容だが、タイミングも合わすのに神経を使う。
やるしかないんだよなぁ、結局。上達には時間掛けるしかないんだよと、自分に言い聞かす。
サムネイルの作り方も、youtubeで教えてもらう。何本か見て同じ手順でやってみる。こっちはデザイン力、センスが必要なんかな?
自分流にやってしまうと多分素人感がバリバリでちゃうんだろうな、と。
あっという間に、時間は過ぎてしまう。
でも、youtubeを見ているだけより、手を動かしている方がいい気がしてきた。
” 充実感 ” これが得られる、自分で得たことは少しでも、大きい。
次へのエネルギーになる。
キウイの苗を植える
コメリにて、キウイの苗を購入しました。オス、メス約2,000円弱で売っており、かなり他の果樹に比べると高いなと思いました。
もともと、キウイの根がはびこっている場所がありました、しかし、かなり手入れがされておらず、草ボーボーのつるがガンガン伸びていました。
周辺も竹がなっており、草を刈るところから始めました。
倒木などもあり、そのあと焼却しました。焚き火で燃やし、遊びでさつまいもをアルミで巻き火の下へ放り込んでおきました。
ほんの僅かな時間で、あっという間にに焼き芋完成でした。アルミまで、燃えてしまうくらいの火力でびっくりしました。一部炭になっているのもあり。
味は、最高でした。仕事の合間の休憩で、外で焚き火の周りで食べる焼き芋。格別。
話を戻し、キウイのはなしですが。メス、オス両方で、間隔は2、3m離し植えるらしい。
来年の5月以降夏くらいまで、待ちたいと思う。
イノシシ撲滅とチェーンソー
木更津猟友会、木更津鳥獣被害をなくす会などあるみたいで、いずれお世話になるかもしれない。
農作物被害を防止するための活動になるが、そのためには、狩猟免許が必要みたいだ。
わな猟免許を目指す。
なんか、くくりわな、はこわな、はこおとし、囲いわななどあるみたい。
申請に 1. 取得したわな狩猟免状
2.初心者狩猟講習会の受講領収証
3.狩猟免許試験申請費用の領収証
が必要らしい。
試験日程が2020年度は1月末で終わっているらしい。
2021年度は12月くらいになる予定だ。しばらく待たなくてはならない。本を買って勉強しよう。
目的は免許とって、イノシシ掴まえて、捌いて、加工して美味しい食べ方みつけたいからだ。今は食べる目的が強い。
でも農作物被害は深刻らしい。自分も同じ体験したら、こんちくしょうとなるだろうな。知人が、明日収穫しようと言ってたのが全部荒らされたと言ってたから。
自分の身に降りかかればなんだって嫌なもんだよね。
それと最近、チェーンソーを100Vコンセント用の安いのを1丁買った。抜根の根切用で用意したが、練習で知人に混合油使用の本チャンので、教えてもらった。
倒木をバッサバッサ切っていった。なんとか、扱えた。長い時間やれば何でも慣れてくる。耳栓みたいなもの、ヘッドフォンみたいな音を遮断するのはあった方がいいね。
疲れ方が違うし、耳に不調くるらしい。早速5000円くらいの買ってみた。今度動画紹介します。
あと、畑耕す耕運機も、同じ日に扱った。こちらも、面白い。手で耕すより、全然楽、あんだけの面積は機械じゃないと、大変だわ。
いろいろ新しいこと出来るようになってきてます。早く、お金に繋がることを祈って寝ます。体はすごく疲れます。たけど、なにか出来るようになるのは、すごく充実感がある。
プロ野球の指導者と受ける選手たち
春のキャンプでよく、往年の名選手がコーチになったり、臨時コーチになったりというのが話題になります。
そこで、よく聞くことがありあます。今も昔もみな同じこと言ってるなあ。
教える側も、受ける選手のコメントも、あまりかわらないなと。
その選手も小学校、中学、高校、大学、実業団、ノンプロなど段階をえてプロに至った。その時々の指導者の人が似たようような、同じことを少なからず伝えてきたと思う。一般の野球好きの人でさえ、テレビを通じて聞いて知ってるようなことばかり。
選手のコメントで、初めて聞いたかのような、リアクション、特別に感じたみたいな。そんなこと、今までもあったんじゃないの。
別にそんなこと、選手だって知ってるでしょう、できてないと言われれば、わかりましたと言わざるをえないみたいな。
なんか、コーチも何したらいいのかわからないけど、教えてることをしていれば、周りから仕事していると評価される。のが悪いんじゃないかな。
だまって見守ること、我慢できない、何もしていない事を評価されない。周りのことが気になっているのが日本の風潮じゃないかな。