ある夏の夜

 秋田の夏も今ほど熱くはなかったが、四季の中では当然、「 もあーっ 」としてた。

高校の3年の夏休みには5月生まれなので、すでに運転免許を取得してた。

家に車はなかったので、近所の人に借りた軽トラック、親戚のうちの古いセドリックなんかを数回乗っていた。友人のお父さんのセダンタイプの車も一度ドライブで使わせてもらった。ドライブといっても、8kmの距離を男友達と往復するだけ。

 あの当時コンビ二もなかった。ただ、1軒、24時間営業の自動販売機が何台か置いている小屋がたむろする場所だった。

 母親のパッソーラを借りて、黒の半キャップ、だてめがねをかけて夜、真っ暗でほとんど灯りのない道を走って家に帰ってた。友達の家に行った帰りの道は、本当に何かでてくるんじゃないかなってぐらい、怖い道のりだった。今現在も、風景はほとんど変わらない。実際すごく昔、きつい長い上り坂の別れ道の方で、自殺した人がいた事をその当時聞いていた。

 そんなんで、夏休みも夜、友達と遊んでいた。友人が、ジョグというスクーターを買ってもらったというので、集まっていた。その彼の家ぐらいだな、新車のバイク所有してたのは。自分には、買ってもらうということが、ないと決めていたので、そんなに羨ましいとも思わなかった。

 そのバイクをみんなで順番に、借りて試走して遊んでた。田舎の夜の道は車はほとんど通っていない。私の番になり、運転したが、ちょっとアクセルの加減がわからなかった。

 多分両親から買ってもらった、納車したばかりの新品のジョグが自分ではなく、貸した友達によってバタンとウィリーした後無残にも、道路面にたたきつけられてしまった。

 地面にたたきつけられた、バイクももちろん、こけて恥をさらした私も、痛打で体も

ガシガシになった。

 バイクの持ち主だった友達に、何も言えなかった。謝ったのか、どうかも、覚えていない。ただその後(高校卒業後)の付き合い方をみれば私は何も言っていなかったのだろう。別に病院に運ばれたわけでもないが、また真っ暗な道を自宅に向けチャリンコをこいでいった。今でも、ちゃんと謝りたいと思っているが、達成できていない。

 私が30歳頃、帰省しているときに彼も在宅してると聞いたときがあったが、多分やんわり断わられてたと記憶している。それ以来、連絡をすることはやめた。

 わたしの中で、ずーっと抱えこんでいる懺悔の1つだ。50歳になったが謝罪したい気持ちは残っている。いつ、叶うか、叶わないか、わからない。

 自分がつくりだした、結果だ。受け入れなけらばならない。

 ただ、その事をどう変えて(行動)いけるのかも、自分自身のこころの持ちようだと思う。